3年通った写真教室を卒業。オリジナリティってどこにあるのかな?

写真好きなら「写真教室に通おうかな」と思ったこと、ありませんか?

私はコロナ禍前夜の2019年10月、写真教室の初心者コースに入学。生徒は15名ほど。毎回、課題の写真3点を発表して先生から講評を受ける約2時間のクラスが月に一度、1年間のコースです。

その後中級、上級コースへと進級して、3年ですべての課程を終えて修了。最後のクラスでは、卒業制作の発表会と心づくしの卒業式が行われました。

実際、自分の撮る写真は3年間でどう変わったのか?

世の中に写真があふれ、誰でも素敵な写真が撮れるようになった時代。写真を通して「自分」と向き合い、先生やクラスメートとの会話を通して自分の「オリジナリティ」を探索した3年間をザックリご紹介。

月に1度という頻度が社会人にも無理なく続けられました。

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似たような作品があっちにもこっちにも、、

クラスで毎回提出する3枚の写真。基本はリアル参加でA4サイズにプリントして発表。

動物や植物、家族、料理、飛行機や鉄道、街角、大好きなアニメキャラクターの人形、モデル撮影会のコスプレイヤーなどなど。。「この世は写真でできている」を地で行く多彩な作品が発表されて「趣味は写真」といえどもいろんなジャンルがあることを知った初心者クラス。

同じテーマで写真を撮ってますから、全員の写真をいっせいに壁に貼り付けると似たような作品があっちにもこっちにも。特に風景や植物なんかは、どこかで見たような写真になってしまいがち。どうやってクラスメートとかぶらない写真を撮るかで一喜一憂してました。

その頃の作品がこちら。課題は「私の町」。この頃はまだα5100でJPEGで撮って出しだったなあ。RAW撮影を知るのはまだ少し先のこと。

先生の講評は「みんな、太陽のピカって光りが好きですね。ピカってなくても、太陽を表現することはできるんですよ」「この写真の主役が田んぼなら、なおさら太陽のピカっはいらなかったかもね」と。。クラスメートに差をつけたいばかりに、かえって「似たような写真」になってしまった1枚。

「私の町」α5100で撮影

作品にタイトルをつけてみたら

にぎやかだった初心者クラスから中級クラスに進級すると、生徒の人数が3分の1以下に激減。撮影技術や実践がほとんどなく、ひたすら「伝わる写真とはなにか」について考えるコースなので、興味のあるなしでやめる生徒、残る生徒に差が出たのかも。この頃からコロナによる緊急事態宣言も発令されて、教室へ行くこと自体が禁止に。クラスはオンラインへと移行しました。

中級クラスの後半の作品がこちら。中級では「写真にタイトルをつける」ことが求められるように。下の写真は「なつかしい場所」という課題で提出した写真。考えたタイトルは「なにがいるのかな?」。

お父さんと小さな娘さんが川べりをのぞきこんでいる姿が主役だけど、川の上を自転車で通り過ぎる人たちにも、普段の暮らしのワンシーンを感じて撮影した1枚です。緊急事態宣言が一旦終わって、久々に友人と外出した時のこと。初心者コースの写真から、少し変化してますよね。

「なにがいるのかな?」α7iiiで撮影。東京都三鷹市、野川

なんでおじさんの写真ばかり撮ってしまうんだろう

上級クラスでは、卒業制作を視野に「自分が表現したいこと」をちゃんと自分の言葉で説明することを求められました。なぜその写真でそのタイトルで、伝えたいことは何なのか。それらを説明する「ステートメント」という文章を書いて毎回持って行きました。コロナも次第に日常となり、また教室でみんなと会えるようになって。

この写真のタイトルは「人生に好き日あり」。近所をカメラ散歩すると、ついついおじさんの写真を撮ってしまう私。なんでおじさんなんだろう?もし、おばさんだったら撮ったかな?いっぺんちゃんと考えてみたところ、出てきたのがこちらのステートメント。

つい、おじさんの写真を撮ってしまう。なぜだろう。まじめで自然で淡々として、だいたいいつもひとりで、どこかユーモラスな人生の先輩の姿に、この先の自分の姿を見ているのかもしれない。色々あるけど、生きていればこんな美しい一瞬に出くわすこともある。満開の花と自転車に乗ったおじさん。それだけで。

「人生に好き日あり」α7iiiで撮影

オリジナリティは自分の中にある

写真教室の3年間で見つけたこと。それは、ちゃんと自分と会話して出てきたものは、唯一無二のオリジナリティなんじゃないかなあ、ということ。そんな大それた会話じゃなく、「なんでこれが好きなのかな?」「これじゃなくてそっちがいいと思うのはなぜ?」みたいなたわいのない会話で全然OK。

それを周囲に伝えることで、オリジナリティが生まれる。結果的に人と似通った写真だったとしても、自分の発想や考えがあれば、自分の作品として自分自身、認めることができますよね。「私はこれを伝えたかったので、これでいいんだ」と。

3年間一緒だったクラスメートには娘さんが3人いて、卒業制作は娘さんたちのポートレートでした。3人とも制服を着て、じっとこちらを見つめている真顔の一枚。背景はちょっと暗い森。彼女も最初は「いつも笑顔ばかり撮影しているので、たまには真顔で撮ってみようと思って。ちょっと背景が暗かったかな」ぐらいのコメント。

でも私たちから質問されて、「なんで制服姿にしたのかな、、いつも着てるから?」と自問自答のあと、「小さかったのに、もう学校に行くようになって。子供たちの成長は嬉しいけど、いづれ大人になって自分達から離れていく、その寂しさや不安が自分の中にあったんだと思う」と。

プロでもない私たちが撮る写真は、特に世の中の役に立つわけでもない。だけど、自分と会話して、先生やクラスメートと会話して、今まで見えなかった自分を見つけられたことが写真教室3年間の一番の成果でした。とても豊かな時間。

卒業式では、先生から最後の宿題が。「みんな、これからもずっと、写真を撮り続けること。そしてもっともっと写真を楽しむこと」

2022-09-29|タグ: ,
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