創業100年超の老舗だって変わる。変化は常に良きことのため、と信じて

深い山の中、ご夫婦で営む渓谷沿いの温泉宿は、曲がりくねった峠道の途中にあります。
宿はどっしりした和風の建物。
吹き抜けの高い天井にはむき出しの太い梁が何本も通っていて、2階には古風な欄干廊下。
囲炉裏の鉄瓶から湯気がたちのぼり、薪ストーブには暖かいオレンジ色の火がパチパチ燃えている。
泉質の良い温泉が沸き、地元の山菜やきのこを使ったお料理がおいしくて、晴れた夜には信じられないくらいの星。
それなのにそれなのに、宿代はリーズナブル。
なので一年に1回か2回、通うようになってもう10年。すっかり常連さんです。
先日も一泊してチェックアウトの時、いつものように女将さんとおしゃべりしていたら、ふいに、
「あのね、この宿、来月売ることにしたのよ」と、おっしゃる。
あ”〜。。。

記事執筆 & 写真撮影 青山田あかり
神奈川県 横浜市在住。写真ブログ「坂や丘のある町 walk along」に、気楽な記事を毎週投稿しています。
ふたりの健康と幸せが第一
「うちは後継ぎがいないでしょう。コロナの頃から、この先どうしようって主人とも話してたの。旅館は3Kの職場だから、みんなやりたがらないし」
「最初は県内の人に売ろうと思って情報出したんだけど、誰も言ってこなくてね。全国的なところに出してみたらたくさん連絡がきて、驚いたわ」
「結局大手のところに売ることにしたの。ごめんなさいね。何年も通ってくれたから、言わなくちゃと思って。チェックインされた時から、ちょっとドキドキしてたのよ」
ロビーの向こうに見える新緑の森が、グ〜ンと迫ってくるような衝撃。
変わってしまうんだ、ここも。
「主人は今年75歳で、もう体がボロボロなの。私はまだしばらくここで働いて次の人に引き継ぐんだけど、主人はすぐにも辞めるって言ってる」
「それは仕方ないですよ。おふたりの健康と幸せが第一だから」
思わず口から出たそんな言葉。女将さんの表情がふっと和らいだ感じがしました。

また来ますよ
「でも、じゃあ女将さんはまだしばらくここで働いてるのね?」
「そうね、少なくとも年内いっぱいは」
「じゃあ、私年内にもう一度来ますよ」
「あら、ホント!?嬉しいわ」と、女将さんの顔がパッと明るくなり、でもすぐ、ちょっと困ったような感じで、
「今まで主人が山に入って山菜やきのこを採ってきてくれたんだけど」
「うんうん。夕べの鴨と山菜の鍋、おいしかった!」
(そうでしょう?)という感じで女将さんがワタクシを見て、「でも、もうできなくなるから、お食事は変わってしまうと思う」

老舗旅館の歴史
元々ここは、戦国時代に開湯したと言われる湯治場で、旅館として創業したのは大正時代。
戦後、女将さんのお父さんが創業者から旅館を買い取ったんだそう。
「創業から数えたら100年越すんだけど、うちで経営するようになったのは、そのうちの半分ぐらいかな」
この場所は、はるか昔からたくさんの人たちが疲れを休めて、森や川、温泉から英気をもらってきた場所。
きっとこれからも、そういう場所として続いていくんだろうなあ。土地の所有者や、働くひとたち、訪ねてくる人たちが移り変わっても。

女将さんの夢
「私、この旅館でしか働いたことないから、引き継ぎ期間中は初めて人に使われて働くのよね。大丈夫かしら。今から心配」と、女将さんから弱気な発言が。
そこで、58歳にして新しい職場で働き始めたばかりのワタクシから実体験のアドバイス。
「別に卑屈になる必要なんて全然なくて、お互い対等に話せばいいと思いますよ。新しい経験や出会いもあると思うし」な〜んて、エラそうに。
二人で、ちょっとニッコリ。すると女将さんが、
「私ね、ここの仕事終わったあと、やりたいことが見つかったのよ」
「え!なに?なに?」
「誰かに話すと、実現しなくなりそうだから、今は言えないわ〜」
「分かった。じゃあ年内にまた来た時、教えて」
女将さんは「うん」とも「いいえ」とも言わず、だまって微笑んで「ぜひまたいらしてね。お待ちしてます」と送り出してくれました。

変化は常に良きことのため
大好きなあの宿が変わっていく。
大手のホテルチェーンが経営するなら、こじゃれた「大人の隠れ家」みたいになって、宿泊料も跳ね上がって、気軽なひとり旅では泊まれない宿になってしまうかもしれない。森や川も、整備されてしまうのだろうか。
一方で、夫婦ふたりではこの先続けていけないんだろうな、と薄々感じてもいました。
部屋の備品が壊れていたり、戸や窓の立て付けが悪かったりしても、お互い何も言わなかった。
変わっていくのは、より良くなるため。
そう信じて、またあの宿に出かけてみよう。
年内ならまだ女将さんがいるし、あの宿がどう変化するのか見てみたい。
温泉宿として存続してくれて、良かったんだ。
そんなことを考えながら、車のハンドルを握って、峠道を下っていったのでした。











