手紙を書くこと、少なくなりましたよね。
最近、立て続けに手紙を書きました。ラインでもメールでもなく、手紙。ちゃんと封筒にいれて切手を貼って、ポストに投函。
なぜ手紙だったのか。それは、ちゃんと説明して伝えたいことがあったから。もうだいぶ会っていない、この先も会えるか分からない。長い間連絡を取っていなかった。そんな何人かの顔を思い浮かべながら、言葉を選んで書きました。
自分も生きものである以上、いつどうなるか分からない。伝えられる時に、ちゃんと伝えておかないと何もなかったことになってしまう。それは後悔するだろうなあ。そう思ったからです。
図書館で借りた「私が見た未来 完全版」
きっかけのひとつは、図書館で「私が見た未来 完全版 たつき諒著(飛鳥新書)」を借りて読んだこと。2021年10月の発売以来、マスコミやYoutubeで話題となったマンガ単行本です。1999年に出版されたオリジナル版の表紙に「大災害は2011年3月」と記述があったことから、のちに東日本大震災を予言した本として注目され、2021年に復刻・完全版が発売されました。
完全版では、著者の予知夢により「次に来る大災難の日は2025年7月5日」と明記されているんですよね。ただし、不安を煽るのではなく、被害を最小限にするための準備や心構えのきっかけにしてほしい、と書かれていました。予言を丸ごと信じるわけではないですが、災害の多い国に住んでることは事実。コロナや戦争など短い期間で社会も大きく変化しました。自分もいつどうなるか分からない。防災の備えをして、日々後悔がないように生活しなければなあ、、と考えさせられました。
2025年7月といえば、あと約2年半
やり残したことってなんだろう?やっておかなければならないことって、何かあるかな?「死ぬまでにしたい100のこと」リストを作ってみようか。まだ行ってない場所。体験したいこと。欲しいモノ。会いたい人。でも、会えない人。そこまで考えて気がつきました。
あの人にまだ伝えていない
同じ時間を過ごし、泣き笑いをともにしたあの人。いつの間にか距離ができてしまい、そのまま何年もたってしまった。気持ちのすれ違いがあったのに、説明もせず離れてしまった。まだお礼もお詫びも伝えていない。そんな人たちが何人か思い浮かびました。
コミュニケーションを続けることで見えることがある?
手紙を書いたもうひとつのきっかけは、友人から聞いた年賀状の話。この時期になると、年賀状を書くか書かないか、悩むことってありませんか?
- 去年、相手から返事がなかった
- 職場や学校が変わってだいぶ経つ
- この先も会わない可能性が高い
などなど。その友人の答えは「断られない限り、自分の人生で大事な役割を果たしてくれた人には、返事のあるなしに拘らず出し続ける」。
彼女の出した年賀状を見た遺族が訃報を連絡してくれて、相手から返事がなかったのは病気による障害が原因だったと分かったそう。長年のわだかまりが消え、遺族と思い出を語り合う機会に繋がったと言います。
コミュニケーションを続けていれば、ふとした機会にお互いの事情が分かることもあるんですね。
伝えたいことは、今伝える
2025年7月に大災難が来ても来なくても。伝えたいことは今伝えよう。そう思って書いた手紙。でも、相手はどう受け取るだろう。何年もお互い音信不通だったのに、ある日突然届く手紙です。
読んでもらえるかなあ。